ゴールデンウィーク。
街はどこへ行っても混み合っている。観光地はもちろん、駅前のカフェも、ショッピングモールも、人、人、人。
そんな人波に飲まれるのがどうも苦手な僕は、今年のGWは「特別な予定を入れない」と決めていた。
連休の3日目、朝9時。
まだ家の周りも、少しひんやりとした空気が漂っている。スマホを見ると、みんな友達と集まったり、旅行に出かけたりしているようだった。
だけど僕は、それらを横目に、自分だけの静かな時間を過ごすことにした。
「たまには一人で、何も考えず歩いてみるか」
そう思って、スニーカーを履き、ポケットに小銭とスマホだけを入れて家を出た。
目的地は特に決めない。行きたい方向に歩いて、疲れたら帰ってくる。それだけだ。
小さな住宅街を抜け、知らない裏道に入る。
普段は車で通り過ぎてしまうような場所にも、春の花が咲いているのに気がつく。
薄ピンクのツツジ。白いハナミズキ。誰かが庭に植えた小さなガーベラ。
どれもこれも、わざわざ見に行こうとしなければ、見逃してしまいそうなものばかりだ。
10分ほど歩くと、小さな川に出た。
コンクリートで固められていない自然な川で、岸辺には菜の花が揺れている。
川沿いに続く細い遊歩道を、のんびり歩く。ジョギングをしている人、犬の散歩をしている親子連れ、ベンチで読書しているおじいさん。
みんな、自分のペースで、この空間を楽しんでいる。
立ち止まって川の中を覗き込むと、小さな魚が何匹も泳いでいた。
水面に映る空は、どこまでも青かった。
「ああ、何もないって、贅沢だな」
ふと、そんなことを思った。
しばらく歩いていると、川沿いに古びたカフェがあった。
木製の看板には、手書きで「Coffee」とだけ書いてある。
思わず吸い寄せられるように、店のドアを開けた。
中には、優しいジャズが流れていて、店主らしき女性がカウンターの奥で本を読んでいた。
「いらっしゃい」
とだけ、ふわりと声をかけられる。
僕はホットコーヒーを頼み、窓際の席に座った。
カップから立ち上る湯気を眺めながら、通り過ぎていく人たちをぼんやり眺める。
スマホを見るのも忘れて、ただ、時間の流れに身を任せる。
30分ほどの休憩のあと、また歩き出した。
少し道に迷ったけれど、それもまた楽しい。
どこに向かっているかなんて、どうでもいい。
太陽が高く昇るにつれて、空気も少しずつ暖かくなってきた。
途中、小さな神社を見つけた。
誰もいない境内には、古びた石の鳥居と、わずかに風で揺れる鈴の音。
賽銭箱に小銭を入れ、手を合わせた。
「今年も、こうして気ままに歩けますように」
そんなことを祈る。
何か大きな願いをかけるでもなく、ただ「今日」という一日が穏やかに終わってくれることを願った。
さらに歩き、気づけば、見覚えのある商店街に出た。
ここまで来れば、家までもうすぐだ。
帰り道、たこ焼き屋の屋台を見つけたので、思わず立ち寄る。
熱々のたこ焼きをパックに詰めてもらい、片手にぶら下げて帰路につく。
家に着いたとき、スマホの歩数計を見ると、いつの間にか1万歩を超えていた。
そんなに歩いた実感はなかったけれど、体は心地よい疲れに包まれている。
シャワーを浴びて、ベッドに転がる。
窓の外からは、夕方のオレンジ色の光が差し込んでいた。
遠くから聞こえる子どもたちの笑い声。すれ違った誰かの犬の鳴き声。
すべてが、やけに優しく感じられる。
「一人で散歩するGWも、悪くないな」
そう思いながら、静かにまぶたを閉じた。